クリックで救える命がある。

途絶えた写真

長男16歳。両家の実家で初孫。長男の誕生を皮切りに、私の兄弟側では結婚出産が続き、毎年集まるごとに、撮影した写真に並ぶ顔ぶれが増えていった。子供の存在自体が新鮮だったし、すごい勢いで成長する幼少期の貴重な瞬間を見逃すまいという思いから、数えきれない位にシャッターを切った。ある時期までは、画像の現像もきちんとしていた。しかし子供も増え余裕がなくなりSDカードにデータを保存しっぱなしにするようになって、また兄の死を経験して以降、実家も離散し、画像を現像する気がそんなに起こらなくなった。皆が和気あいあいと集えていた時期には、子供たちを撮影した画像データの共有なんかも、私側の親戚同士で、気楽にしていたのだけれど、そんな気も起こらなくなった。

 

今日は夫側の姪っ子が義実家に帰省して、我が子と戯れて喜ぶ様子を、沢山写真撮影した。夫は2人兄弟の弟。義兄さんにとっては一粒種の長女。帰省も年に1、2回程度だから、親戚で交流できる時間は貴重となる。いい場面をシャッターにおさめようと、カメラを構えながら、兄がまだ元気であった頃の実家の情景が脳裏に浮かんだ。兄は子供たちの画像や動画を、我が家とは比べ物にならない位に、沢山撮影して、データをPCに保存していた。親戚で集まった時には、我が子と、姪っ子甥っ子が絡む様子を沢山撮影していた。父は、兄姉私が撮影した画像を、イベントがあった後にはCDにまとめて、皆に配ってくれた。

 

「仲の良い、いい家族だね。」

「親戚、まとまってるね。」

そんな風に見られていたらしい私の実家は、今はない。両親は離婚し、母は再婚した。父は実家を売り、マンションに1人住まいしている。亡き兄家族とは皆、絶縁状態にある。以前のように、皆で集える実家ではなくなった。今日、父には年賀の挨拶のために電話して孫の声を聞かせた。余計なことは言わず、父の身体を気遣い、孫の話をした。

 

昔の写真、今は見る気が起こらない。今日私宛に、数少ないのだが年賀状が届いた。両家の親と並んだ家族の写真入り年賀状をくれた旧友がいて、安定感抜群だなと感心した。絆が強そうに錯覚して見えていた?からか、この10年間の実家の変遷ぶりには、その変化が激しいために、狐につままれた気分にはなる。

 

何かをきっかけに壊れてしまう家族の「縁」。家族に限ったことではなく、人と人の「縁」は、築き上げてきた年月が長いほど、切れてしまった時に空虚感が残る。「縁」のかけがえのなさ、「縁」のはかなさ、私の実家が離散する様を見てきて、「縁」の意味が何となく分かるようにはなってきた。

 

お義兄さん一家は二泊三日の滞在となる。可能な限り、姪っ子と我が子の様子を、沢山写真撮影しようと思う。撮影した画像はカメラのキタムラでフォットブックを作成して、義親と義兄に配ろうと思う。

 

歳をとるということは、こういうことなんだなと、しみじみとした気分になる。人と人の間の複雑な関係性の中で、複雑な感情を抱えた自分がいるのだけれど、だからこそ拠り所を求めようとする気持ちも高まるのかなという気もした。

 

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